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DATE: CATEGORY:事件・事故
「中河原海岸 防空頭巾」とは・・・

「橋北(きょうほく)中学校水難事件」のことです。

1955年7月28日に
三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、
同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事件。


沿岸流(ロングショアカレント)説、副振動説、噴流説、蹴波説などがあるが
事故要因の発生原因については不明あるいは推定の域を出ていない。


水難事件が起きた日は、奇しくも十年前の昭和20年7月28日の焼夷弾攻撃の日。
生存者の話によると防空頭巾をかぶったおばさんが・・・。




1955年7月29日の現場検証についての
「…赤旗内はいずれも深さ八十センチ前後で潮の流れもほとんどなく、
 その範囲内で泳いでいたなら事故がおきるはずがなく、…」
という記述。


1956年7月29日付の伊勢新聞には
「…当時おぼれて助かった女生徒の一人は
 そのとき海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来たといっている」

「…終戦の年の同月同日、津市中心部が一夜にして灰燼に帰した空襲時に、
 この文化村海岸の松原に避難して爆死した多くの難民たちの
 無縁仏がひいたのだという伝説も想いおこされる」
という記述がある。

さらに、
「…身元不明の遺体は砂浜に埋葬されたと聞きました。
 それから十年後同じ日、中学生の水難事故がありました。
 遺体の埋められた場所の近くです。
 生存者の話によると防空頭巾をかぶったおばさんが呼んだと云います」
という、

7月28日の空襲時、海岸へ逃げそこでもB29による焼夷弾攻撃を受けたという体験談
(戦争の爪跡、三重県戦後50年体験文集、三重県戦争資料館)、

この日は奇しくも十年前の昭和20年7月28日の焼夷弾攻撃の日であった。
 当時、中河原地区では焼夷弾で死んだ人々の霊がまだ成仏していないのではないかという、
 うわさが広まったそうである」(津市民文化、No.31、2004.3)
という記述が見られ、おそらく事件当時から語られていたことがうかがえる。


1963年には、女生徒の体験記が女性週刊誌に掲載される。
(私は死霊の手から逃れたが…、女性自身、昭和38年7月22日号、pp.55-57)

これは、頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、
モンペをはいた何十人という女がこちらに向って泳いできて、

「夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした」
「しだいにうすれていく意識の中でも、私は自分の足にまとわりつてはなれない
 防空頭巾をかぶった女の白い無表情な顔を、はっきりと見つづけていました」

というものであり、

津市郊外の郵便局長の話として、
1945年7月28日の空襲で警察署の地下室に逃げ込んだ人々が
「皆、煙にまかれて窒息死した。死者は250名をこえていただろう。
 その処理に困った市当局は、海岸へ捨てることに決めたが、
 漁師たちが反対したので、一部は油をかけて焼き、
 残りの大部分は砂浜に穴をほって埋めてしまったのだ」
という記述。
橋北中学校水難事件より抜粋。


現在は事故現場一帯の中河原周辺の海岸は遊泳禁止となっている
とのことです。


ここまでだと、まるで10年前に焼夷弾で亡くなってしまった
防空頭巾をかぶった大勢の幽霊が原因で水難事件が起きたかのようですが・・・。


ところが事故概要の欄を詳しく見てみると・・・

参加生徒約660名。
当日参加した女子生徒は約200名。

約200名の女子生徒は泳げない者が大半を占めていて

女子生徒100名前後の者が水泳場東北隅附近で
一斉に身体の自由を失い、溺れるに至った。

上記の記載から、幽霊の仕業として片付けるには
生存者のほうが圧倒的に多く疑問が残るように思います。


また脚注には上記の女性自身で防空頭巾の話を語った女生徒の
追記が書かれていました。

民事裁判の判決後
「あの当時はやっぱり人災の要素も大きかったと思います。
 その証拠に死んだのはひ弱い女生徒ばかりで
 指導に当たった先生や関係者らは皆健在ではないですか。(後略)」
(伊勢新聞、1966年4月16日)とも述べている。


溺れている別の生徒を幽霊と見間違えた可能性も大いにあります。

信じるか信じないかはあなた次第です・・・。
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